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論より詭弁(読書メモ)

議論に論理的な正しさを追求するのをやめようという話でした。

  1. 村会議員がヨーロッパ視察に出かけた。
  2. 村会議員がヨーロッパ見物に出かけた。

視察と見物との意味の違いは微妙だが、 b の書き方の場合、仕事せずヨーロッパを楽しみに出かけた議員を批判する含みがある。 事実に対して中立的であることを意識した場合、書き手の意見を廃した a のほうが妥当にみえる。 だから a の書き方にするよう気をつけましょう、ではなく、そもそも中立的な書き方をする必要はないのだ。

K は大学教授だ

これだけを読むと中立的な文にみえる。 Kが大学教授であるという事実のみを表しており、意見は含まれていない。 しかし、これが発言された文脈を考えるとどうか。

K が信頼に足る人物か図りかねている人に対して「K は大学教授だ」と言う文脈だと、 「だから K を信頼するべきだ」という意図が現れる。 文それ自体が真実のみを表していても、それが発言されたという事実が意見を表明してしまう。 たいていの文はそれが言及されるに値するから存在するのであって、「言及されるに値する」ことは発言者の意見なのだ。 だから意見が全く含まれない発言はない。

というか、発言・執筆はというのは人の意見を表明する手段なのだから、中立的であることにこだわるのが間違っている。

レトリックは、正しいことの証明ではなく、可能な説得手段を見つけ出すことをその目的とする。

数学のように厳密に論理的な議論をするべきではない。 種々の技巧や言い換えを駆使して相手を説得するのが議論のあるべき姿だ。